映画キサラギの真犯人

犯人は必ずいる!
当サイトはアニメの話中心だが、筆者は映画にも興味があり、映画キサラギについて語る。


当ページは、映画版はおろか、ドラマCD版(映画の続きも網羅)まで完全ネタバレなので、せめて映画は全部見てからどうぞ。
映画では、歌の後に俳優の宍戸錠(物語では司会者役の老人)が出てきて、蛇のように曲がった針金を出し、他殺説を語ろうとする所で終わる。
キサラギを視聴していない人(視聴しようかなと考えてここに来た人)が読むべきではなく、既に視聴済みでキサラギの真犯人を探している人に向けている。
なお、ページ管理人はDVDを保持しており、いつでも検証のスタンバイOK。

脚本家は映画のパートUを想定しており、T(キサラギの無印)を超える事が難しく収益が見込めないからこそ、中途半端な所で終了してしまっている。よって、映画の作中で「オフ会に来た人たちの推論に過ぎず、結局、真相は闇の中です」のような教訓を視聴者に伝えたいわけではない。もし、そんな脚本家がいたら視聴者を馬鹿にしており許せない域だ。そうではなく、Uを想定していた以上、Tで語られない真相が脚本家の中で決まっているとしたい。つまり、脚本家の想定を暴く事がテーマとなる。


◆前提◆
キサラギには映画と小説があり、当ページでは真相は同じという事にする。キャラクターの態度や扱いが違う程度は、真相には影響しないものとする。映画版はタレントのイメージというものもあり、格好いい系のタレントがダサイ態度を取らないように配慮されていると解釈する。

結局、真相は分かりませんでしたと読者・視聴者に思わせる、真相は視聴者が決めてくださいという説は却下とする。必ず真相があり、真犯人あるいは自殺、事故確定という結末があるとする。

脚本家は自殺や事故で締めくくる事を考えず、真犯人を想定していると当ページでは考える。つまり、「驚愕の真実がある」という思考を重視する。真犯人には動機があって、殺意または嫌がらせ、性的強要の結果、如月が死に至ったと考える。


◆小説版と映画版との違い+ドラマCD
小説版の方が、映画より先がある。家元が痴漢ストーカーしており、足に怪我したというエピソードが語られる。
人物の名前が違うが、パラレルワールドではなく、あくまで映画用に名前を調整した程度と解釈。

当ページでは、違いという解釈ではない。映画版で語られていないエピソードが小説やドラマCDにあり、タレントのイメージの都合で、正体が痴漢とかを避けているに過ぎないと解釈する。


◆犯人・スネーク説◆
オープニングでは、アイドル如月を追いかける5つの男の影が登場する。その中でスネークだけがおかしな動きをしている。また、スネークが犯人だとすると、殺人説が初めて出た時の態度など自分に都合が悪い時には焦ったり、都合のいい時には、その説を強調したりしている。自分以外が責められる場合、責める人物を煽っている。恋人から友達へと発言を変えており、チューしたかとか責め立てられたので友達を主張したと考えられる。つまり、チューを迫ったり、無理矢理チューした可能性が高い。
窓から逃げるのは結構怖いと発言しており、トラブルが起きて逃げようとした事がある域。また、1年も経っているのに、ビンのマスコットの形を覚えている。地震が起きて、店にまた呼び出された裏付けは取っていないし、たとえ裏付けが取れても、殺すつもりは無い仕掛けをセットできる立場なので、犯人から外れるわけではない。告白したが断られたので、逆上してレイプや嫌がらせといった所。
地震の話だが、店長と一緒に後片付けをしたは事実だとしても、あくまで事故だった場合に地震が原因で出火している。 留置所の父親が地震を知らないのに、なぜか店が揺れている。店の揺れ自体が捏造では? モヒカンから普通の髪に戻した理由はバンドを辞めた以外にあるのでは?
他にも、オフ会から1年後(事件からは2年後)の司会者の老人が見せる針金が蛇の形だとか、こだわる人もいる。
もちろん、そのようにしてスネークを疑わせるトラップというケースもある。1つでも気付けば、視聴中に疑えるからだ。

◆犯人・家元説◆
推理ものでは主人公やヒロインが犯人というオチがどんでん返しの定番だ。よって、どれだけ面白く、主役が犯人という演出をするかに掛かる。如月に痴漢ストーカーをしていて、足を怪我しているエピソードは、あくまで痴漢ストーカーが確定するのみ。しかし、警察が犯人というオチを映画で実施したくなかったと考えると、真犯人は家元とも考えられる。
家元は警視庁でイジメを受けており、深刻な状況で如月ファンだった。また、口を利いた事なども無く、他者よりも狂いやすいと言える。
実はいじめられている話をオフ会では一切明かしておらず、回想シーンみたいな所で登場するのみ。つまり、真相に繋がる布石なのだ。

◆犯人・司会者説◆
小説版では、司会者は自分が犯人だと名乗るが、原因の一端程度の話であり、動機があるというわけではあるまい。続いて、真相に迫ってゆくのだと考えられる。
映画ではほとんど活躍していない人が犯人というのは、脚本家として駄目の域。2時間推理ドラマでも物語の最初の15分以内に出てくる者が犯人という定説がある。

◆その他犯人説◆
幼馴染み、マネージャー、父親の順で、動機があり得なくなる。父親は拘留されているので除外の域だし。住む所が離れている幼馴染み、ましてや父親が殺害まで実施する事は考えにくい。幼なじみがヘアヌード写真集を出して不幸になって欲しくないという理由で実行というのも考えにくい。駆け落ちとかならばともかく、殺害というのは救い出す事と真逆の対応だ。マネージャーも、これからヘアヌードで稼いでもらう自分の食い扶持を潰す事はないし、真相究明への熱意も考えにくい。もちろん、事故説の場合には、幼馴染み、マネージャーはあり得るが、それでは物語が馬鹿馬鹿しくなり、宍戸錠(司会者)のシーンが蛇足になってしまう。
他に思い浮かぶのは、「全員が犯人ではなかった」という逆のパターンで、「全員が切っ掛けになった」というパターンだ。通常は切っ掛けを作った人には、贖罪の必要は無い。(例だが、ある大人が山の崖から転落した理由なんて、実際には特定できない。もしかすると、30年前の子供の頃に、その山へ連れて行った既に亡くなったお爺ちゃんが本当の切っ掛けなのかも知れないし、現地へ行くまでに使った電車や車の造り方が原因かも知れない。)また、動機という点を考えると、悪意のあった者がいるはず。その人を犯人として扱う。

◆大人の事情◆
警察が犯人というオチを避けたかったという、大人の事情が生み出した おかしな結末が映画キサラギのあのラストシーンだったのだ。名探偵コナンでも、警官が犯人というのは、相当に少ない。あっても、アニメオリジナルの下っ端の巡査や大阪府警など、少なくとも東京で発表する作品に警視庁の人間を犯人とする話は避けているのだ。いじめられてもいない警官が犯人では何なので、一応、いじめられている設定にはしたが、今度はイジメがある事も物語に組み込む事になり、犯人暴露には到底至らない。

他の見方としては、主人公のイケメンタレント(小栗旬)が痴漢して殺した犯人だと、ファンが怒るという、その手の事情もあり得る。ブサイクやオッサンが犯人だったり、主役ではないスネークなどが犯人ならば、収まる場合となる。スマップとか嵐が主役で、脇役で小栗旬が出て、小栗が犯人でしたという場合も、「他がそのメンバーなら仕方ないよね」「そんな役も出来るんだぁ」で許されるはず。

ましてや、上の2つが重なったら? メジャーな大人の世界では実現不可能で、小説やドラマCDというマイナーな世界に真相が隔離されてしまうのだ。

◆映画とドラマCD(小説)とが同じ真相である根拠◆
まず映画のラストに対し、脚本家は続編がある前提でいる。つまり、映画とは矛盾しない続きの物語があるという事。ドラマCDが出た理由は、もちろんその続きを知りたい人がいるから。その理由で買ったという人がほとんど。この時、「映画とは犯人が違います」では許されない。言い換えると、映画の犯人・真相が知りたいのに、別物語の犯人を知らされても、真相を知った事にならないからだ。ドラマCDでさえ、脚本家の伝えたかった続編が語られないとなると、もう機会が無い。既にドラマCDで語られたと解釈すべき。

次に、上に語った大人の事情が真実だからこそ、映画では真相が明かされなかった。もし、主人公以外が犯人で、性犯罪とは無関係ならば、隠す理由に欠ける。しかし、いじめられている警官による性犯罪と放火が真相だとしたら、現状と合致するわけだ。名前が違う理由は、大人の事情を追求されても、いざとなれば「あくまでドラマCDの物語です」と逃げるため。


◆◆◆締め◆◆◆
スネーク犯人説は強いがダミー、家元が犯人に落ち着くと考えている。と言うか、ドラマCDでは、家元が犯人で確定。
実はこのページは、「真相は誰にも分からないんだ」と語る人を認めたくなくて書いている。スネークや家元が犯人という証拠があるのに見ようともせず、「真相は誰にも分からないんだ、突き止める事はテーマじゃないんだ」「映画と小説とは違うんだ」のように逃げている人に何かを言いたかったという事で。たとえ「突き止める事がテーマではない」であっても、考える事には意義が有り、犯人は脚本家の頭の中にあるのだ。そして、ドラマCDの登場で、やはり脚本家の中に真相があり、あくまで大人の事情で映画では真相が明かされなかったのだった。

家元「抵抗するから死んじゃったよ。・・ったく・・つまんね」 …… ドラマCDより
要するに、いじめられている警官が思いを寄せる女性をレイプしようとして、抵抗を抑える最中に死んだので放火というのが真実だったのだ。もちろん、映画での真実でもある。
イジメに耐える最後の砦だったのに拒否られた。次はジョークという解釈で良いが、拒否られてもレイプ、拒否られなくてもセクロス達成。家元の目的は最初から決まっていたという事で。男の性欲が犯罪の原因という、条理を描いていたのだ。
ドラマCDに対し、女性の視聴者が「家元がこんな奴だったとは」のように嘆いていた。だが、男の性欲を知れば、男の誰もがこんなもんだと分かる。ストイック(禁欲的)に見える男は、女に受け入れられて性欲を満たせているからこそだ。そんな男でも、性欲で迫る相手を間違えて拒否られると、途端に「こんな奴」に変貌する。同じ男に過ぎないのだ。


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