◆怪盗ラフィン・プレイの心構え◆

世の中にはきっと隠された真実があると考える人には読む価値も無い話です。
このページは作者の心の闇が主体なので、あてられる可能性があります。

  怪盗ラフィンのダウンロードページはこちら
ゲーム本体のファイルは当サーバーにあるのが最新版です
外部ダウンロードサイトの更新はあまりしません

真の価値というものは世間で嘲笑され、非難されるのだ。なぜなら、それは世間にとって、実に都合が悪いからだ。
凄く面白い事に、世の中の真理を示しても、それを受け入れられない人は「子供の想像」と錯覚するようだ。要するに、その人の想定を遥かに超えているものの、なんらかの評価を下さないと「相手の大きさ」を認める事になるので、認めたくない人はあまりに大きな対象を、小さいと錯覚する事で心理的安定を図るのだ。
例えば、「俺は億万長者になるんだ!」と叫ぶ人がいたとしよう。その人を見て、アホだとか子供じみているとか思わないだろうか? しかし、実際に大富豪になっているのは、そんな事を叫び続けていた人で、正しいのは「億万長者になる!」と叫んでいた人なのだ。もちろん、本当に馬鹿が叫んでいる事もあるが、凡人に区別がつくわけではないのだ。

一般的に何かを嫌う場合、なぜ嫌うかというと、本人の劣等感を刺激するからなのだ。
当ゲームは自由を追求している。自由とは、人々が聞きたがっていない事を話す権利なのだ。



●はじめに…ここまで評価の大きく分かれるゲームは他に無い!
 怪盗ラフィン〜セミーラミスの秘法は、完成直後のあらだらけのバージョンでいきなり雑誌に掲載されるという快挙を遂げており、フリーゲームの玄人プレイヤーにも一味違う事を見抜いてもらえている。一方、色々なゲームをプレイしてきたフリーゲームの熟練者(アマチュア)にも「冠を持つ神の手シルフェイド見聞録のように秀逸とされるゲームよりも光る物がある」と感じさせるような大作である。にもかかわらず、「どこがギャグで大爆笑なのかが分からなかった。内容もただ低俗なだけでクリアもできない。」「ジョークになっていない。ただ下品なだけ。何を示したいのか理解不能。」のようにダメゲームとレッテルを貼る人もいる。なぜこういう事が起きるのだろうか? 解説してゆこう。

ポイント1.ジョークについて
 「ジョークになってない」とか「笑えない」と語る人が完全に勘違いしている事がある。ブラックジョークというのは、性的な内容をジョークにしたものも含まれる。よって、性的に下品とされている対象こそが、ブラックジョークの王道なのだ。また、アメリカンジョークというのは実は理解に対して要求するレベルが高く、センスの無い人には理解できない。それこそダジャレのようなギャグとか、ほのぼのとしたギャグのように読者に媚びて笑わせるのではなく、「頭のいい人だけが分かるんだぞ」みたいな高い位置にある。

ジョークは笑うものであって、笑わせようとか、練り上げられていると作者・発言者が主張する場合には、聞き手や読み手は笑おうとする心構えが大切になってくる。ジョークを聞く方、読む方というのは
初心者…面白かったら笑う
中級者…面白くなくてもジョークだと判断したら笑う
上級者…とりあえず笑う。そして、本心から笑えなかった場合には、どこが面白いのかを質問し、納得して改めて笑う。
だそうだ。まあ、上級者になれば、理解力が高まっているわけで、質問の可能性も徐々に減ってくるだろう。当ゲームは「ジョークがある」と主張している。笑いという貴重な機会を提供されたら、素直に笑うのが今後の人生に有用となるという話だ。

◇理解力が必要なジョークの例◇
少女趣味の男キャラクターがいて、主人公のラフィンが少女に手を出す事はけしからんと注意するシーンで
その年齢は児童だ。一緒にお風呂を入るくらいしか許されない。
のような台詞がある。理解力がないと???だが、実はここで中級者以上は笑うのだ。理由はお風呂に入る行為は(特に父娘、兄妹の場合には)別に犯罪ではないが、お風呂という事は裸になるわけで、充分に性的な状況で、それを許可している主人公自体も決して少女趣味の相手を叱れる状況ではないから。
こんな風に解説してしまうと逆に笑えなくなる可能性もあるが、プレイヤーが瞬時に意味を把握し衝動的にニンマリと笑って欲しいというわけだ。
こういう文章の把握には国語力はほとんど不要で、感受性の世界になる。

 無理解者の一方では、当ゲームを「至高のブラックジョーク」と評する人もいる。要するに、当方のジョークのどこが面白いのかバッチリ把握できる聡明な人にとっては、面白くてたまらないというわけだ。別ゲームなので基準にするかは任せるが、同じ作者のジョークを「ブラックジョークの殿堂」と評した人もいる

 ここまでが定義だったり一般的な見解だが、作者はもう1つ付け加える。「性的な内容に下品な要素なんて無い」と。というのは、生命の誕生に関係する神秘的な行為や、それを求める男女。どうしてそれが下品になるのだ? 要するに、一般人に植え付けられた「性的な内容は下品に結びつきやすい」という短絡的な考え方自体を否定したい。なお、一般人に何が植え付けられているかは、ゲーム内に色々と示してあるのでプレイして理解して欲しい。


ポイント2.ストーリー評価の著しい違い
 ストーリーの点数を5段階で1などにする人がいる。これは「プレイを途中でやめた」という事実を物語っている。ネタバレだが、地図にも記されていない不思議な国、古代からの壮大なストーリーで、古代遺跡とか古代人類の話に繋がっていく。「最高に面白かった」と語る人がいる一方、最低水準と評する人がいる。その違いはズバリ、評価を低く考える人はクリアしていない高く考える人はクリアしている。これが大きな割合を占める。「●はじめに」で記したが「何を示したいのか理解不能」とあるが、そりゃクリアしてないのに分かるはずもない。「ギャグが低俗なのでクリアできない」という人がちゃんと事実を告白しているではないか。なお、その人は最終的にはクリアし、「面白かった」と語っている。たとえ、肌に合わないにしても、最低点という事はあり得ない。他にも当ゲームをけなす人間が「オープニングで出てきた黒豹がうんぬん」話していたが、オープニングしか見ていない事が証明される。
 当ゲームはR15モードをオフにすると、性的なギャグはほとんど消える仕組みになっている。要するに、エロギャグが好きではない人は、それを読まないで済むようになっているのだ。R15モードをオフにしてプレイすれば、ちゃんと怪盗の仕事や古代文明とかの話が進むわけで、ストーリーが低い事はあり得ない。警告を無視し、R15で強行プレイし、途中でやめた人間のストーリー評価なんて無効といえる。下手に「下品だ」なんて感想を書くと、変にスケベ心を起こしたプレイヤーがR15でプレイしようとして、自爆したとしか見えない。
 また、「ブラックジョークが自分にはちょっと多すぎでしたが、それを含めても読み進めたくなるほどのとても良いシナリオでした。」という感想もある事から、たとえエロジョークが苦手でも面白く感じるのが正統派であり、途中で投げた人には評点の権利は無い。
 当ゲームはエンディングの画面を出す事に対して相当に難易度が低く、実は章をスキップしまくり、エンターやCtrlキーを押しているだけでほとんどのシーンのメッセージを読まなくても進められる。要するに「クリアしたけど面白くない」と語る連中は、実はメッセージを読んでいない。「思ったよりもシッカリしていて、プレイの価値はある」と語る人ですら、メッセージをすっ飛ばしたと正直に語ってくれる場合がある。また、読んだといっても、理解しながら読んだわけでもあるまい。「理解しやすい日本語で」というのは当方の問題ではあるが、思想や哲学まで混ざっており、理解しやすい文章ばかりではないのだから。

○雑誌掲載の理由はストーリーとキャラクター
 以前に同じシナリオライターの妖魔ハンター〜聖魔対戦!が雑誌に掲載されたわけだが、その時のバトルシステムは、なんとカード1枚VS1枚で技も無いという、今のシステム(5枚VS5枚で技もある)から考えると、途轍もなく貧弱なゲームだった。効果音もほとんど無し。確かにモンスターグラフィックは綺麗だが、そんなのは借り物の素材に過ぎず、他のゲームクリエーターが全く同じ素材を使うだけで、そのゲームも同じく雑誌に掲載されねばならない事になる。タイトル画面は反転の意味不明の画像、背景も無ければ立ち絵は1体も無い。シーン絵もオマケイベントで白黒のが1枚あっただけ。ツールで作ったのような顔グラで表情を出していただけだった。メッセージのスキップもできず、操作性も良くない。音楽はどうだろうか? 当時は確か魔王魂さんの所のMIDI素材くらいしか採用してなかったはずだ。彼の素材はフリーゲーム・クリエータの多くが採用しており、他ゲームと比べて音楽が優れていたわけでもない。むしろ、MP3の素材が他のゲームにあったら、音質で負けてしまう。こんな状況の中、作者の音楽チョイスのセンス(笑)でも雑誌掲載のポイントにはなるまい。となるとやはり、残るはシナリオしかない。学園時空ファンタジー、雲の上に上り詰めたアメリカンジョーク、予想もできないどんでん返しのシナリオ、そして実はシナリオよりも大きな魅力である女優のキャラクター性(グラフィックという意味ではなく性格付け)、これら以外には雑誌掲載のポイントは無かったのだ。キャラクター性はシナリオに包含してもよいだろう。雑誌掲載バージョンは妖魔ハンターのページからダウンロードできる。
 ↑の妖魔ハンターの話は開発日記からのコピペだが、以前の雑誌掲載もシナリオやジョーク抜きにはあり得なかったという補足としたい。なお、雑誌掲載当時のバージョンではR15モードは無く、性的な内容は控えめ。また、怪盗ラフィンも雑誌の紹介欄には性的な話は全く無く「バラエティに富んだメンバーで構成された怪盗団が数々の事件を起こし、また巻き込まれていくシナリオ形式のアドベンチャー。読みやすく手軽に楽しめる作品となっていおり、便利な文章スキップもブロックごと、シナリオごとにできるなど充実しているぞ。」のように記されている。掲載してくださったその雑誌には購入年齢に制限は無く一般向けで、掲載されている他のゲームは年齢制限のないフリーゲームで、他の記事も便利ツールやテクニックなどWindowsの話なのだが、広告には出会い系も含まれており、イラストとはいえ女が股を開いている。包茎手術やペニス増大の広告もあった(笑)。他にはエロ同人ショップや一般的な靴などの広告。別に雑誌その物が性を完全に排除しているわけではないにもかかわらず、当ゲームの紹介には一切エロギャグの話は無い。何が言いたいかというと、性的な内容があるから掲載されたわけではないという話だ。そもそも、性的な内容があるだけで掲載されるならば、無料エロゲームはことごとく掲載されるはずではないか。ちなみに、当ゲームのメッセージは読みやすいそうだ。まあ、感受性や知能のある人にしか読みやすくないというのは問題なので、感情移入できるように直してゆきたい。
 なおもし、「いいや違う。*****が雑誌掲載の理由だ!」 という明確な何かがあれば、当サイトの掲示板やメールでぜひ教えて欲しい。その内容を作れば、誰もが高確率で雑誌掲載される事になるからだ。もちろん、そんな対象があるはずも無く、妖魔ハンターとかが掲載された理由はシナリオとジョーク、そして女の子の魅力なんだよという話の強調に過ぎない。正直、妖魔ハンター〜聖魔対戦はバトルがそれ程には面白くない(笑) 当方もいまだかつて聖魔対戦のバトルを「雑誌に掲載されるくらい面白い」と評した事はない。もちろん、人によっては波長が合い、燃えてもらえる人もいる。もっといいアイディアはあるが、導入すると遊戯王みたいになってしまうし、オリジナルを維持するために避けている。バトルを理由に初期でゲームを捨ててしまう人もいるだろうが、なんとシナリオが妖魔ハンターの売りなのだ。よって、捨てた人が面白くないと判断し、クリアした人が面白いと評価する構図は、怪盗ラフィンと全く同じといえる。いずれにしても、妖魔ハンターは説教臭くないので、より多くの人がストーリーを楽しむ事ができる。バトルがつまらんにしても、ストーリーは面白いのだ。
 さて、妖魔ハンターの評価は比較的良い方で、怪盗ラフィンはボロボロと賞賛の両極端に分かれる。無難にクリアできた場合よりもクレームの方が声は大きくなるのが通常(例えば、パソコンが正常に動いてもメーカーに賞賛なんて来ないが、壊れた所有者からはクレームの嵐)なので、ネットには批判的な意見の方が多いかも知れない。もちろん、当サイトの掲示板に書き込むような人にはクレーマーはおらず、悪い所を指摘してくれたり、面白かった事を語る人だけだ。


ポイント3.グラフィックの評点
 基本的には評価は高い。絵の綿密さというよりキャラクターの凛々しさや可愛らしさという意味でも高い。当ゲームのシナリオライターである作者をおとめる目的で、画像10点、音楽6点、物語3点のように評したり、スクリーンショット詐欺(画像だけ優れて中身がスカスカ)と中傷する人もいるくらいで、画像の評点を低くする事は通常はあり得ない。しかし、5段階で2などにする人がいる。要するに、プレイを進めておらず、初期でゲームを捨ててしまっているので、

のような画像がある事すら知らないわけだ。上の画像のシーンは、主人公ラフィンの妹のようなジュディスが、怪しげな店で男相手にいかがわしい事をしていた回想シーンなのだが、実はギャグでもあり、後々のシーンでも引っ張り出され、ジョークのネタになる。

 正直、フリーゲームで面白いとされる作品のグラフィックなんて目じゃないのが、当ゲームのスタッフの描いたイラスト群だ。容姿ばかり魅力的過ぎて、それに追いつくようなキャラクター設定を、キャラクターの管理者である作者ができていないと思う事さえある。ともかくは、グラフィックは至高の域といえる。なお、RPGツクール2000というのは解像度が320*240という当ゲームの4分の1なので、そんなゲームのグラフィックが5点、当ゲームが2点なんて事はあり得ない。RPGツクール2000というのはグラフィックの評点は制限されると考える。もちろん、ヘボの800*600と、センスのある320*240では、時には320*240が勝つ事もある。そうだとしても、当ゲームの640*480が320*240に劣る理由にはならない。また、本気でグラフィックを意識しているクリエーターが320*240を採用する事はまずあり得ない。
 グラフィックの項目を纏めると、全く別のシナリオライターが同じ画像を使って別のストーリーを作っても評点が同じでないと正当な評価とはいえない。
 一方、ストーリーを理解できた人の多くがグラフィックの良さには特に触れない。実はグラフィックが良いといっても、流石に「超越した何か」みたいなのがあるわけではない。シナリオに超越した何かを感じ取った人にとって、グラフィックは特別に論じる項目ではないというわけだ。

 さて、確かにバージョン1.10以降はグラフィックが良くなってきた。ここでグラフィックが雑誌掲載の理由ではなくシナリオが理由だという更なる強化をしておくとしよう。実はバージョン1.00の時点では立ち絵と顔絵は一致してないというとんでもない状況だったのだ。
のような立ち絵があるとしよう。なんと、 が顔グラだったのだ。背景色(水色の部分)の透過すらされていなかった。単に準備が間に合わなかったわけだが、それにしたってわざわざこんなゲームを雑誌に載せるからには、シナリオが超越しているとか他に秀でたものがないとあり得まい。「雑誌掲載の理由は立ち絵とか一枚絵が可愛いからだ」と言われれば、素晴らしい絵を描いてもらっている以上、反論しにくいのに、怪盗ラフィンを認める能力のない連中は雑誌掲載そのものを否定しているから困ったものだ。
 一方、「絵にセンスは無い、気分が悪くなる」ような、明らかに誹謗中傷が目的のコメントもある。しかし、だとすれば、一体、何が目に留まって雑誌に掲載されたのだろう? シナリオで確定だなこりゃ。同じく貶したいだけの「グラフィックが目に留まっただけだ」という主張とは全く逆のスタンスだ。当ゲームの絵にやシナリオにセンスが無いのではなく、難癖付けられているだけと判断できる。実際には両方優れていないと雑誌掲載に採用されない。これが答えだ。


ポイント4.音楽の評点
 音楽というのは、結局、総評に左右される。面白いゲームだと思ったら、音楽までいいように聴こえ、評点を高くするというわけだ。しかし、実際に使っている曲はフリーで公開されている音楽素材で、他の作者のゲームと同じなのだ。だいたい、当サイトはよく使われる魔王魂さんや氷石彩亜さんとかの音楽を採用しているのだから、他のゲームで評点が5だったら当ゲームも5でないと辻褄が合わない。使っているツールはソフトウェア・シンセなので、MIDIでも相当に良い音質となって出力される。音楽の評点が他のゲームを上回る事はあれど、最低点のはずは無い。特にツクール2000シリーズのようなツールでMIDIを採用している場合、そんなゲームの音楽が5で当ゲームが1なんて事はあり得ないのだ。
 更に言うなら、実は当サイトのゲームは音楽素材が共通で、当サイトの他のゲームのレビューは別に悪くもなく、音楽は5点中5がついている。なのに、全く同じ音源の当ゲームだけが1のばずがないではないかっ。
 そもそも、作者はネットでフリー素材を2000曲くらい調べ、良いと思われる曲を選別、採用している。要するに、フリー素材では最高に近いものを集めているのだから、最高のはずだ。一方、誰かがあるフリーゲームに対しオリジナルを作曲したとしても、通常はその程度の曲は聞くにたえない。あるゲームのオリジナルの音楽が、ネットで定評のある無料素材曲よりも優れるなんて事はあり得ない。オリジナルという理由では、まず音楽の評点は上がるはずもなく、作者の選んだ音楽こそが評点は上がるといえる。「フリーでここまでいい曲を揃えるとは」のように言われた事もある。また、クリエータなのか、「**のテーマミュージックが気に入りました。どの音楽素材サイトのなんというファイルですか?」のような質問をされた事がある。お愛想でラフィンをわくわくして面白いとも評してくれた。当ゲームがちょっと面白い程度(圧倒的多数派が占める)の場合には、素材などの別の用件でもない限りコメントしてこないのが一般的といえる。そして、音楽が優れている証でもある。
 一方、ストーリーにダメ出しをしながらも良い方と判断し、グラフィックも一定水準を超えているとし、最も音楽が良かったと称する人もいる。クリアまで行け着けば、音楽の良さも分かってもらえるわけだ。けなす人はストーリーをスキップしており、音楽なんて聞く暇もない事だろう。


ポイント5.ターゲット年齢
 一応、当ゲームは年齢制限が無く、R15モードといっても別に根拠があるわけではなく、単なる自主規制に過ぎない。文章には実は法的に18禁というのは存在せず、ましてや15禁なんて存在しない。(作者の作者の法に対する考え方は作品内に記してあるが、ここでは一般的な話で。) しかし、15歳からはバッチリ噛み砕いて楽しく遊べるかというとそうではなく、実はゲーム内の哲学的な話は社会人くらいの人に向けたメッセージに溢れているのだ。性的な内容にしても女を抱いた事も無いのに女の話をされても、まだ青臭い少年達には辛過ぎる内容もあろう。コッソリとエロゲームとかしている人ならば、高校生でも性的な内容の方は受け入れられるかも知れないが、今度は哲学的な話についてゆけまい。もちろん、そのような少年に世の中の仕組みを伝授したいという想いはあるので、反感だけは持たないようにして欲しい。
 この現状を鑑みれば、プロとしてフリーゲームを発掘している人や多くの作品をこなしたそれなりの歳のアマチュア愛好家が、当ゲームを高く評価するのは妥当といえる。


ポイント6.下品さと同朋観念
 まず、性的なものは、嫌うべきものでもなんでもない。江戸時代の人達は好んでいたし、未開の島(西洋文明に侵されていない)には性的な楽園もあった。西洋であってもキリスト教に侵される前のギリシアでも性的熱望を露わにするのが常道だった。当ゲームはエロゲームでもないのに性的な内容を使いこなしているので、クリエーターのプレイヤー(特に同じツールで作っている)は気に食わない事もあるだろう。まあ、ブラックギャグが入っているので、ピュアな人には強烈過ぎる事はあるが、壷にはまる人も大勢だ。
 一方、当ゲームを下品だと考える人を考慮するにしても、ウ●コの類は一切採用していない。ワンピースというアニメ界を代表する作品があるが、あの作品には実はオナラにウ●コ、下痢のシーンまである。キャラクター性をを出すために、慢性の下痢の人物なんてのもいるわけだ。実はワンピース作者の尾田氏の師匠は徳弘正也氏で、徳弘氏の作品もウ●コ、シッコ、チ●コの作品だ。ワンピースにはルフィがキンタマを伸ばされるシーンまであるが、徳弘氏の影響といえる。
 話を戻すが、ウ●コの類があっても許されるのだから、その類を扱っていない当ゲームが下品というのは早計と言いたい。
 品格とはまた異なるが、ワンピースでは動物を狩るようなシーンが多い。要するに殺戮だ。一方の作者は、動物への殺戮は食べる場合でも否という内容を盛り込んである。実際には動物が殺されるようなシーンはあるが、正当化するようなシーンはないのだ。えっ? 女を狩るレイプシーンが多過ぎる? そりゃ失礼した。
 ワンピースには好きなキャラクターはいるが、物語そのものに当方が納得しているわけではない。友情とか兄弟愛とかあるが、ルフィが食っている肉の生きている姿である動物には友情は感じないのか? 菜食主義者が見たら、非常に嫌悪感を得る。動物は同朋ではないのか? 要するに、動物は人間より劣るという差別、人間にも優劣があるという差別、義兄弟や仲間以外は傷つけてよいという、現代社会の秘密結社の教義そのものではないか。師匠の徳弘氏の漫画は女はレイプされるけど、動物に対しては優しい場合もある。女も酷い目に遭うという偽りのない状況、作者の波長は師匠の徳弘氏の方に合っているといえる。とは言うものの、徳弘氏の性的ギャグは作者すらひいてしまう。そして徳弘氏のギャグに耐えられる人は、当ゲームは相当に面白いと感じるはず。


ポイント7.偽りの有無
 平和な村が賊に襲われるストーリーがあるとして、少年漫画とかでは、賊の男による「焼き払え! お宝と食い物は俺達の物だ! 抵抗する奴は皆殺しだ!」のような台詞がある事だろう。しかし、実際にはそんなシーンがあるとして、「焼き払え! お宝と食い物は俺達の物だ! 若い女は全員犯すか売り飛ばす! 抵抗する若い女以外は皆殺しだ!」が正直だと考えている。嘘をつかない当ゲームはそれを採用しているだけで、野卑でもないし、受け入れられなかったり理解不能なのはプレイヤーの問題だ。
 ワンピースというアニメがある。確かに面白いが実は偽りの物語に過ぎない。海賊が登場人物の主流になっており、ザコ海賊などもたくさん登場する。しかし、ザコのやる事は決まっていて、町を焼いたり、町人を痛めつけたり殺したり、町のお宝を強奪する事だ。肝心な行為が抜けている。女の略奪だ。この表現がない以上、ワンピースは幾ら面白くても少年漫画止まりで、偽りの物語に過ぎない。怪盗ラフィンはどうだろうか? 財宝というお宝だけでなく、ちゃんと女というお宝をゲットする事も忘れていない。偽りはどこにも無いのだ。ただし、偽りがない以上、色んなものをさらけ出す事になるので、顕れた要素に耐えられないプレイヤーは脱落する事になる。女神転生シリーズのロウとカオスの例えを出すが、ロウに染まっている者はカオスの素晴らしさが分かるはずも無い。繊細なストーリーが好きな人間が、豪快で大胆なストーリーを理解するのは難しいというわけだ。
 ちなみに、この話を踏まえると一般のフリーゲームや市販ゲームは偽りでしかないので、偽りに酔いしれる者達が当ゲームに直面したら、ムッとする事はあり得る。多数派を占める偽りのゲーム、それはまるで一般大衆の食べている偽りの食材のようなものだ。一般大衆はハンバーガーや化学調味料だらけのジャンクを美味しい美味しいと食べているのと重なってくる。そして、もっと怒り出す人がいるとすれば、実は凡庸なゲームクリエーターだ。自分が巷に溢れる偽りの物語しか提供できないので、当方の物語を目の当たりにすると耐えられなくなるのだ。
 怪盗ラフィンを認めるという事は、自分が神と崇めていたゲームやアニメが偽りだと認める事になり、自分自身がアホだった事を認める事になる人もいる。この状況の人は、必ず当ゲームや当ページまでも貶めようとしてくる。

 ワンピースが物足りないのは尾田氏のセンスが悪いからではない。尾田氏も徳弘氏のようにヤングジャンプみたいな青年誌で描けば徳弘氏のような作品、あるいは超える作品となるはず。ワンピースが青年誌で連載され、しかも20世紀ならば、海賊や天竜人は次々と女を犯し、虐待しているのだ。少女も含めて。蛇姫姉妹が少女時代に天竜人の男に性的虐待を受けたようなシーンは少年ジャンプにですらある。男嫌いになった理由は男による虐待で、まさか殴る蹴るのはずはあるまい。骸骨男のブルックも女の子に対し「パンツ見せてください」では済むまい。下ネタ関連も凶悪になるだろう。つまり、怪盗ラフィンの根っこは徳弘氏に通じ、尾田氏にも通じている。なぜなら、彼らの作品に垣間見える性的シーンを基準に怪盗ラフィンも作られているからだ。キンタマという言葉をラフィンで使った理由はアニメのワンピースで使われていたからだ。意識はしていなかったが、精液をちびるシーンは、徳弘氏の作品に数え切れない程ある。
 当方が問題としているのはワンピースそのものにではない。大人になりながら少年漫画という偽りに感動し神と崇めつつ、怪盗ラフィンを地に落とすような浅はかな極少数の輩だ。ワンピースに物足りなさを感じ、同人誌などの二次創作をしたり、それを味わう欲求が発生する人が感受性豊かといえる。


ポイント8.非現実で完結するか・現実にまで侵食するか
 決定的に違う点がある。他の作者のゲームは非現実を楽しむのが主流だが、実は当サイトのゲームは大きく現実に関係する話で、「こういう人生・恋愛もあるんだな」のような生易しいものではなく、「今まで信じてきたものを捨てろ」という強烈なメッセージが込められている。よって、当ゲームを認める事は今までの自分が壊れる事になる人もいるので、これに耐えられず、当ゲームをアホだと思う事で認知的不協和(人が自身の中で矛盾する認知を同時に抱えた状態で覚える不快感)を成立させるわけだ。当ゲームを気持ち悪いと言う人は感受性が低く、この心境になりがちだ。人間というのは、特に自分が賢いと錯覚するに連れ、自分の今まで信じてきたに沿わない事や全く逆の事に遭遇すると、相手の視野が狭いと思い込む事で納得しようとする。また、受け取った理論に対して、根拠が無いと思い込む。しかし、根拠というのは論を出した者が最後まで面倒見るのではなく、最終的にはプレイヤーが調べるなどして納得すべき事柄だ。悪い例ならば、別に当ゲームのストーリーに納得しなくてもいい。「ゲームはつまらんけど、レーラちゃんは可愛い」と評すればいいのに、そうならない理由はやはりストーリーの内容で認知的不協和に陥るからだ。
 「プレイ前のプレイヤーの洗脳されていただけの思想」と「当ゲームに顕れる思想」とのどちらが正しいのかは、感受性が高いと判断できる。そして、スムーズに目から鱗が落ちる。思想にも影響するようなゲームは他のフリーゲームにないのだから、プレイヤーの中には「当ゲームの中に秀逸とされる作品よりも光っている物を発見した事になる」というわけだ。プレイヤーが既に慣れている思想ならば「おおっ、この人は自分と同じ考え方なんだ」となり、別に抵抗感は生まれないので、素直にストーリーやギャグだけを楽しんでもらう事になる。
 感受性とか知性といったが、ネットで情報を検索するだけでも随分と違ってくる。「根拠が無い」と思う話があったら、一度、ネットで調べて欲しい。タバコや肉の旨味の話など、ネットを調べれば何が真実か分かるはず。まあ、そういう作者も、当ゲームを作り出す当初は「タバコは害だ」と思っていたので一般人なら相当に苦労する対象もあるだろうが、法則は「嘘とされている事が真実、真実とされている事が嘘 」。この方針でゆけば、感受性も培われる。
 まあ、調べるのが怖いからこそ、ゲームや当ページを貶めてて、支配されているという事実や肉そのものの害などから逃避するというのが、底辺の現状なのだろうが。その上、支配の仕組みや学問の偽りなど、作者の言う通りの情報が見つかり、その事実を受け入れるだけではなく、作者そのものやゲームを認める事に繋がるのが怖いのだ。

ポイント9.宇宙の法則とのから
 実はその人が知るべき時期に来ていない情報というのは、知る事ができない。怪盗ラフィンには世の中の仕組みみたいなのが埋め込んであり、その情報は人によっては受け入れる準備ができていないので、そんな人はゲームのプレイを必ず途中で諦めてしまう。上手い具合に当ゲームには「卑猥なギャグ」があり、あたかも卑猥なギャグがやめた理由かのように錯覚するが、実は宇宙の法則によって排除されているのだ。もっと言うならば、人のゲームをおとしめて楽しむような連中は、やはり世の中の真理という強烈な光は味わえない。
 他の例としてはプレイ前に「それでは批判を開始します」と宣言するような人がいて、ついでに当方の悪口まで書きくさっていたので、当方がクレームを入れたため、結局プレイする事ができなかったという人までいる。

↓これを1ブロックとカウントし、実は10000ブロックもメッセージがあるので、読むのに慣れていない人が読みこなせるはずも無いのだ。しかも高度なジョークまで感覚で捉える必要がある。一定の知能がないと、理解しつつ10000ブロックなんて耐えられるはずも無く、低い評点をつけて去ってしまう。なお、短いブロックの場合「ラフィン:そんな馬鹿な!?」でお仕舞いという事もある。また、一般的なゲームよりも一回り文字が小さい仕様となっている。

 また、感受性が高くないと、この手の話は???となり、素晴らしい情報どころか、馬の耳に念仏状態となる。ゲームに関係ないどころか、クリア時にはこのメッセージが何を意味しているか、うなるように理解でき、目からウロコが落ちるように感激するのだ。一部の人は認知的不協和により気分が悪くなる。「この人が素晴らしい事を語っているはずもない。反吐が出る。」と思い込む事で自分を納得させる心理に陥る。
 まあ、ガリレオも最初はバッシングの嵐だったが、結局は真実を伝えていた。当ゲームはあまりに斬新過ぎて、(たとえ年齢が若くても)古い考え方の人間には到底受け入れる時期には来ていないのだ。
 真の価値というものは世間で嘲笑され、あるいは非難されるそうだ。なぜなら、それは世間にとって、実に都合が悪いからだ。本来は一般大衆にとって、太陽が動こうが地球が動こうがどっちでもいいはず。しかし、自分の今まで信じてきた事が取るに足りない迷信だったと思い知らされるのは都合が悪いので、相手をバッシングする事で心を落ち着ける行動に出やすい。怪盗ラフィンはそういう意味でも本物なのだ。
 プレイヤーを偽りで包み楽しませるゲームを、プレイヤーは面白いゲームだと評価する。真実か否かは別として、一般大衆の思想に沿う物語を提供すれば、プレイヤーは面白く感じ満足する。一方、怪盗ラフィンなどの内容が真実だとすると、プレイヤーは今まで信じてきた価値観が一気に崩れてしまうので、途轍もなく都合の悪い話を受け入れねばならなくなる。人物の行動や物語の展開は同様であっても「この物語では霊能力者がいるんだよ。現実ではそんな人はいないけどね。」というスタンスは受け入れられる。しかし、「現実にも霊能者はいる。その証拠としてまず大衆を騙す支配層の存在を知れ。」のようなスタンスを受け入れるのはプレイヤーにとって非常に都合悪く、非難する事で心理的逃避を図るというわけだ。昔で言うなら「キリスト教は嘘だ。大衆を騙す支配層の存在を知れ。」のような魔女の発言を欧州の大衆が受け入れるのは困難だった。魔女狩りのような事を行うしかなかったのだ。
 一方では、「セックスは楽しむべき要素。エッチシーンを受け入れられないプレイヤーは西洋思想に侵された奴隷同然。」のような主張もあるので、非難する事で精神の崩壊を防がねばならなくなるわけだ。
 
 追記だが、東日本大震災が起きるまでは、「政府やマスコミはペテン師達の集団で、大衆を騙す事で支配を維持している」とか話すと、プレイヤーは「陰謀論だ」とか認知的不協和に陥りやすかった。しかし、今ならば政府やマスコミが嘘つきの集団だという事を認識した人も多い事だろう。作者は以前からそう言い続けていたが、ある意味、早過ぎたわけだ。ちなみに、20年以上前にそんな事を言い続けていた人もいて、その人はずっと笑いの対象だった。しかし、今は全世界で講演を依頼される凄い人にのし上がった。
 当ゲームを作って反響を確認すると、正しいという事と納得させられるという事は別なんだなと思い知らされた。結局はどんな内容だろうと理解はプレイヤーの能力に委ねられるというオチだったのだ。

●存在自体がエンターテイメント
 あんな魅惑のグラフィックが存在し、他の面白いとされるゲームや当サイトの別ゲームと同じ音楽を使いながら、総評が1点とかその時点でギャグだろう。イタズラならともかく、あまのじゃくながらも本気で付けられているのが呆れ果てる。雑誌掲載なのに、ある人の評価は1点。こんなゲームが存在する事自体がジョークで、作者自体が型破りのぶっとんだ人間という事だ。
 ゲームをプレイするより、読者はこのページの方が面白いと感じたりして…。まあ、こんな面白いページを作れるのだから、ちゃんとゲームも面白いから安心して欲しい。

●芸術性
 芸術家というのは自然に生きる。2000年前にあった規定ならばともかく、極最近の後付けの規定など嫌だ。世間の要求に嫌と言って従わず、本来の人間の思う事をやるのが芸術家だ。なんで創作の世界まで規定に縛られねばならないのだ?
 当ゲームはつまらない規約や倫理のような偽りに囚われていない。その状況を見て同感を覚えるか、縛られた自分を認めたくないあまり他人にも要求するおかしな行為に走るかの違いで評価は決まる。

●雑誌掲載に関する当方の見解
 雑誌掲載というのは実は作者にとってのメリットは「喜び」「創作意欲の増加」は別として、「自分の作品はある高い位置にある水準をクリアしているんだな」という自覚に結びつく程度と考えている。雑誌に掲載されても付録のDVDによってゲームのプレイヤー数が大幅に増えるとは思えない。ホームページも記されているが、アクセスが大幅に増える事も無いだろう。雑誌の購入者よりもふりーむとかの方が人の訪問は多いはず。一方、メリットがあるのは実はプレイヤーなのだ。何が面白いか判別できない多くのプレイヤーに対し、「掲載されるからには見所があるよ」というメッセージを作者自身がホームページなどで示す事によって成立するわけだ。
 一方、あちこちの雑誌に掲載されたものの、ネットでの評判はイマイチというゲームもあるようだ。こういうゲームは、見栄えが良く、システムもいい感じで構築されているが、シナリオが平凡過ぎるという可能性が高い。

●誰が悪評を?
 実は悪評を立てている人間は一般のプレイヤーではなく、同じツールを使いながらも雑誌掲載などが実現するはずも無いゲームを作っている連中や、そもそも能力不足でゲームを完成すらさせられない連中が中心だと教えてくれる人がいました。要するに嫉妬というわけです。同じ嫉妬ならば、作者のように「あの程度のゲームでチヤホヤされるのはおかしい、あのゲームよりも面白いのを作ってやる」のようなエネルギーになればいいのに、他人の足を引っ張り始めるというわけです。規約の見落としが原因によるリンクの不備程度で、鬼の首を取ったように騒ぐ人もいました。善意の指摘ではなく、非常に嫌味な言い方で、クリエーターの嫉妬と僻みが滲み出ていました。もし、一般のプレイヤーならば、そんな所に注目するはずも無いし、指摘するにしても嫌味な言い方になるはずもないというわけです。一方では、嫉妬がなく、当方のゲームを受け入れたクリエーターには、素材の規約問題をこっそりメールで知らせてくれた人がいました。てっきりオリジナル素材だと思っていた内容が、実は特定のツールでしか使用できない素材、公開者がアレンジしただけの素材があり、その素材を採用していた事に対し、指摘してくれたというわけです。
 エロシーンが存在する事にしても、エロを使いこなせないクリエーターが当ゲームを見る時に癇に障る内容となるわけです。一般プレイヤーならばエロがあればむしろ楽しいはず。知らずにプレイして困るわけではなく、「エロあります」と宣言している。「残酷シーンあります」と書いてあるゲームをプレイし、気持ち悪くなった事が理由でわざわざ悪評は立てません。男女の性的な内容がなく、魅力の薄いゲームを作っているクリエーターだからこそ、エロがある事自体が許せないというわけです。絵で釣ると評する行為も理由は同じです。一般プレイヤーならば、絵さえ良ければいいという人だっている。当ゲームがチヤホヤされて困るのはやはりクリエーターで、自分が絵を描けず、しかも絵描きのメンバーを集められないからこそ、当ゲームのグラフィックが優れている事が許せないというわけです。
 ただ、当方が「お前等にはこの水準のゲームは作れないだろう。雑誌掲載もこのレベルで成立するのだよ。面白さの分からない奴はアホだ。」のような雰囲気さえ出さなければ、悪評を立てられる事も無かったでしょう。正直、当ゲームはそれ程には面白くないゲームと考えています。まあ、その意味は「フリーゲームとしては雑誌掲載もあり得る水準だが、自分がそのストーリーを絶対的に面白いかというと、大した事無い」です。もちろん、最低の評価をつけられるのには納得できず、バランスを取るために、このようなページを作る事となりました。

●サークルに対するカンパとの絡み
 当サークルへカンパしてくれる人はいるわけだが、なんと5000円ものカンパをしてくれた人がいた。当サイトには雑誌掲載の妖魔ハンターや怪盗ラフィンをも超越したシナリオのらんらん少女もあり、怪盗ラフィンそのものに対するカンパではなく、実はらんらん少女が決め手となった。「全ゲームクリアさせていただきました 深く考え抜かれたシナリオでとても楽しめました 市販ゲームまで含めても、近年まれに見るクオリティ だと思います 」のようなメッセージを下さった事から、グラフィックではなくシナリオに対する感嘆が要因だと考えられる。市販ゲームと比べてグラフィックが超越しているわけではないのだから、超越できるのはシナリオ以外にあり得ない。
 別ページでは断ってあるが、作者はお金のためではなく、自作ゲームにお金を出す価値があるという事実 を証明するためにカンパを募っている。分かる人には分かるという証明の1つだ。口先だけの賞賛の場合、お金を提供するなんて事はまずない。また、たとえどんなに面白いと思っても、なかなかお金までは出さないはず。実際にカンパが行われたのだから、当サークルのゲームが本物の証といえる。ゲーム販売はあくまで前払いで確かに収益はある。しかし、ゲームのプレイの後に出すお金こそが本物だ。なぜなら、その人自身が価値を決めるからだ。ストーリーの内容は市販ゲームには織り込めないような内容だし、カンパに値すると認められた事になる。
 ただし、怪盗ラフィンはらんらん少女に比べれば大した事無かったとはいえる。また、実は作者自身、怪盗ラフィンの悪評には頭にきてバージョンアップを放棄したような作品になってしまっているのは事実だ。もちろん、そこらのゲームよりも劣るという意味ではなく、更なる高みに上らせてやれなかった無念さが残る作品だ。

●当サイトのゲームはパーフェクトという意味
 当サイトのゲームをパーフェクトと称してくれる人もいる。理由はストーリーに偽りがなく、タブーや世間の闇の部分を隠す事となく表現しているからだ。もちろんエロゲームみたいに理不尽な性的錯綜もなく、18歳未満のキャラが排除される事もないので、完璧という言葉を当てられるのは不思議でない。残念ながら、怪盗ラフィンへのメッセージではなく、らんらん少女なのでよろしく(爆) 怪盗ラフィンはパーフェクトではなかったようだ。まあそんな事は作者がよく分かっている。

●知性と感性を映す鏡のようなゲーム
 当方が天才なのではなく、感動した人間が天才なのだ。当方が述べていない事を自分で埋める実力があるからだ。当ゲームを中の下レベルのストーリーとか言う奴がいるが、そいつの頭が中の下レベルだからだ。全く理解できない奴の頭の中は、言うまでもあるまい。まるでプレイヤーの頭の中を写す鏡のようなストーリーだ。
 人によってはゲームのプレイで「お前はアホ、お前は無知」と言い続けられる事になるので、当ゲームや作者を貶める事で自分を癒すという事に繋がる。作る前にこれに気付かなかったのはこちらの落ち度といえる。

●プレイヤーによって面白さが変わる不思議さ
 何事に対しても、悪いという評価は対象を把握していなくても可能だ。極端な話、プレイを開始すらしていなくても、それなりに説得力のある悪い評価はできる。反面、いい評価は対象を把握していないと、まともな評価はできない。ゲームならば、シッカリクリアしていないといい評価は書けないのだ。たまに、イタズラで怪盗ラフィンを褒めるような言葉があるが、良い所が何も記されておらずイタズラだとすぐに判明する。一方では、本心からの褒めるコメントもクリアした事が伝わる。
 何かの名作があったとして、教養や話の種、見栄などで読んでも本質は掴めない。怪盗ラフィンもけなす目的でプレイしても何も分からない。ジョークか好きでもないのに、ジョークの面白くなさを探すというのは本来の行為ではない。ホラーゲームを嫌いなのに、あるホラーゲームの面白くなさを探すような理不尽な行為だ。こんな行為をしても、アホゲームとしか判断できず、作者まで知性に欠けると判断する事だろう。
 表面を見てアホであっても、実際にはアホで笑わせるための深い積み重ねがあるのだ。面白さが掴めるかどうかはプレイヤーに委ねられる。プレイヤーによって面白さが変わるという不思議なゲーム、それが怪盗ラフィンの本当の面白い所なのだ。

●愚かな行為
 批判を目的に当ゲームをプレイする事。この行為は粗探しといって、ゲームの面白さを探し出す行為ではない。以前「面白いはずが無い」というつもりでプレイしたけど、「結局は面白かった」と語った人は確かにいる。しかし、彼は粗探しの域ではなかった。
 おかしな人間がいて、プレイする前に「それでは批判を開始します」のような宣言には呆れ返った。人間を豊かにする楽しむためのフリーゲームのプレイに対し、批判が前提とはどういう事? 宇宙には「引き寄せの法則」というのがあり、そういう人にはそういう人なりの人生の経験があるので口出しする事ではないが。プレイすら開始していないのに、クリアした人の賞賛のメッセージまで否定する始末。
 時々当ページの内容の一部だけを抜き出して、意味が薄いのように評する者もいるが、要はそれ以外の部分は崩しにくいという裏返しでもある。当ページはそれなりの文量があるし、ほんの少しだけ穴がある程度なのだ。

●救いようがなく、哀れさえ思える状況
・当ゲームを面白いと考える人が全くいないと考える
・当ゲームを褒める文章は、全て当方の自演だと思い込む。フェイク(イタズラ)で当ゲームを褒める人すらいないと思い込む。
・当ゲームが優れる事や、当ページの内容を全て当方の妄想だと思い込む

 となると、カンパされた事や音楽の素材を質問された事、実は元漫画家の元で修行した人が立ち絵を描いている事、誤字を10以上指摘してくれた人が「冠を持つ神の手やシルフェイド見聞録のよりも光る物がある」と語ってくれた事など、全て作者の妄想でないと成立しなくなるのだ。雑誌に掲載してくれた人の頭までもおかしいと思い込まねばならなくなる。
 当ゲームを駄目ゲームだと思う人がいる事は、作者の理解の範疇だ。そして、面白くないと思った人の大半は「俺には合わないけど、これを面白いと考える人はいるだろう。」と思うはずだ。にもかかわらず、面白いと考える人がいないと思うのは重度の認知的不協和と言えよう。当ゲームが素晴らしいのも困るが、当ゲームを素晴らしいと評する人がいるのも困るし、イタズラで面白いとおちょくった人ですら、最低限の面白さを見出したからこそのイタズラであって、そのコメントすら都合悪く、そんな人は誰もいないと考える事で自分を癒す心理的防衛本能が働くというわけだ。さて、ぜひ現実を見つめて欲しい。こちらとしては、もはや目覚めるのを祈るしかない。
 こういう人を考えると、当ゲームは冷たいかも知れない。ゲームや当ページそのものには、こんな人に対するフォローは一切なく、「お前は無能」と責められるだけなのだから……。

●感受性のない人の特徴 ※上に行く程に重症
・当ゲームを褒める人がいないと思い込み、褒めている文章は作者の自演だと思う。
・当ゲームを褒める人はいるが、作者をからかうフェイク(偽り)に過ぎないと感じる。結局は、当ゲームを褒める人間はいないと考えるし、いて欲しくないというおかしな願望に囚われる。
・当ゲームを本気で褒める人はいるが、褒めている奴は全員アホだと断言する。少なくとも、当ゲームを褒める人がいる事は理解できるので、実は一番厄介。以前はこのエリアの人にかなり強めの攻撃を受けたが、当ページのような威圧感を出す作者ですらタジタジだった事は告白しておこう。なお、その人は、結局プレイすら開始できなかった(したとしてもクリアはしていない)。あくまで攻撃が目的であって、プレイする事は目的ではないからだ。

事実:当ゲームを理解できる人は感受性が高い。しかしながら、ほとんどの人間は感想を述べるわけでもない。圧倒的多数派、当ゲームをそれなりに面白いと思った程度では、別に感想なんて述べない。もちろん、途中で「あまり面白くない」と思った人は何も論じない。

実は当ゲームは以前、「フィードバック・フリーウェア」と称して、感想を書くつもりのない人のプレイを禁止していた。にもかかわらず、悪評もなげれば、面白かったという感想がちょっとあった程度なのだ。つまり、ほとんどの人はプレイしても感想なんて述べないし、それを半強制にしても反応なんて薄いのが現状なのだ。

●その他、欠点も述べるがいい所も見つけるパターン
・決して面白いわけではない、しかし色んな意味でやってみる価値がある。
・ギャグはまずいが、ストーリーの基盤はシッカリしている。
・ストーリーはまずいが、オリジナル性は高く、システムは優れる。

●まとめ
 高い評価をする人は理解してもらえたので問題ない。低い評価者はジョークの意味を把握しておらず、ジョークの認識が追いついておらず、理解してクリアしていない事が要因。要するに面白いゲームなんだから、能力がない人がちゃんとプレイせずに感想を書くのはやめてくれという話だ。また、こんな事を書くと、ジョークは理解して最後までやった人が、なぜか音楽とかグラフィックを理解していないというあまのじゃくが現れる。確率的にこのページに記されている内容をすり抜ける事はあり得ないので、このページに対抗してわざと低い点数をつけただけだ。クリアしたが面白さを理解していないというより、理解しない内にシーンをすっ飛ばして進めただけだろう。
 正直、「下品だからクリアできない」「クリアしたけどストーリーは最低」なんて言っている連中のためにゲームを作っているのではない。理解してくれる人は感受性が高いような頭のいい人(少数派)という事はこっちもそろそろ分かっているので、「こんな解説ページを作ったんだから、ちゃんと評価して」という話になった。ホントは「こんなページ作らなくても面白いの分かってよー」という想いなのだが。
 ただ、作者としては、プレイヤーには媚びていないので、とっつきにくい人がいる事は事実。しかし、それはストーリーが最低レベルという事を意味するわけではない。もちろん、グラフィックや音楽の評点には無関係だ。他の秀逸とされるゲームが、プレイしてもらうためにプレイヤーに何らかの引き付け方策を練っているのに対し、怪盗ラフィンは「信じられる奴だけ付いて来い、絶対に満足させてやる」のような感じなので、付いてゆけた者だけが、他の秀逸とされる作品よりも上回っている事を知れるという具合だ。
 「冠を持つ神の手」とかは凡人が理解できる範囲で高峰。更に上はまず存在しないかのように見える。しかし、当ゲームは凡人を越えた人が理解できるエリアに存在して、しかも更に高峰という事にしておくとしよう。そう考えると、多くのフリーゲームを先入観無しに目利きしてきた雑誌社の人がスパッと採用したり、プレイの熟練者が秀逸とされるフリーゲームより光る所を簡単に見つけ出す一方、多数派である凡庸なプレイヤーがクリアすらできなかったり、メッセージを理解せずにストーリーだけ進め「クリアしたけど面白くなかった」と語るという事実に合致する。もちろん、あれだけ苦情が寄せられれば、直す点がたくさんあるわけで、更なるパワーアップが可能という、潜在能力は抜群といえる。
 ちなみに、徳弘正也氏の漫画も苦情殺到で、彼も辛酸・苦汁を舐めさせられた事だろう。

●その他
 「登場人物がストーリーを見せるための駒のよう」「人形劇みたい」という、なかなか面白い指摘もあった。実はストーリーはまだ骨組み状態なので、肉付けがされていないのだ。魂が入っていないキャラクターも多く、その評価は正しい! なお、バージョン1.10では、ある程度は緩和されている。後、当ゲームはマルチストーリーでゲームオーバーなどをたくさん設定する前提で作られている。しかし、悪い意味で有名になってしまったので、別のゲームでそれを実施する事になるかも知れない。

■このページを作る経緯
 怪盗ラフィンは元々はヒッソリと「面白かったです」のような感想を得る程度で寂しいもんだった。「内容は深いし、大勢の理解者は望めず、まあこんなもんかな」と思っていた。そんな時、「内容が低俗過ぎる。こんなもんで笑えんし、クリアできるかっ。」のような意見を目にした。しかし、そのコメントを見た時には丁度、雑誌掲載が決まり、その事実を発表する前で、「阿保には困ったもんだ。雑誌に掲載されるレベルなんだよ。クリアもせずにふざけるな。」という態度となった。その様子が気に食わなかった低俗な連中は素材の規約とかを嫌味な言い方で指摘し出したというわけだ。更には雑誌掲載だけでは理解できなかった連中のために色々と弁明をする事となった。内容としては、大量の誤字の指摘と共に「冠を持つ神の手やシルフェイド見聞録のように秀逸とされるゲームよりも光る物がある」と称してくれた人の話、5000円のカンパの話、他にも雑誌掲載のゲームがある話などをしたというわけだ。
 本当は自分で気付いたり、他人に評してもらいたいのだが、どうして当ゲームが光っているか語る。このページは階層が深く月に10人未満のアクセスだし、アクセスした人がここまで読んでいる可能性も低いので問題ない。怪盗ラフィンは現代社会に警鐘を鳴らしている作品なのだ。お札なんか信じるなのような話まである。ゲームを凄いのだと自己主張しなくても、多くの皆に気付いて欲しいのだが、大衆は思ったよりも頭が麻痺しているので語らねばならなかったのだ。


クリアしたら、ぜひこちらに感想を……こんな状態なので、ぜひ助けてください

プレイヤーの感想と返信…エディタ公式や当サイトに寄せられた意見

キャラクター紹介

怪盗ラフィンのダウンロードページはこちら